こんにちは。現役介護士のままる@mamaru0911です。
月日が経つのは早いもので、44歳になってしまいました。
このブログを書き始めたのが43歳なので、記事のいたるところに「43歳」というワードが埋め込まれていますが、今後は44歳と書く事になります。
10代20代の方からすると、44歳というのは遠い遠い未来だと思うでしょう。
しかし実際は「あっという間」の出来事です。
今日はそんな若者に、是非参考にしてもらいたい「44歳」の現実を語ります。
44歳になった所感
44歳と言えば「立派なおじさん」どころか「初老」に片足を突っ込んでる年齢です。
所感と言えば
「まあ大きな病気や怪我も無く、よく生きて来たな」
と言ったところでしょうか。
僕の人生の大半は、今思えば「偶然」の連続でした。
20代半ばで商売を始めてから、まったく保証の無い人生を20年近く生きて来て、振り返ってみると本当に「良く死ななかった」というのが今の正直な感想です。
20代30代は、自分の気力と体力、そして「やる気」というエンジンだけでなんとか生き抜けるものだと思います。
年代別に、僕の行動と思いを振り返ってみたいと思います。
夢を見た10代
僕は中学生の頃からバイクが好きでした。
高校生になると、入学式の後その足でアルバイトを探し飲食店のキッチンでバイクを買う為のアルバイトを始めます。
そこで飲食店経営の魅力に取り憑かれます。
飲食店は、メニューや内装、接客方法などで「自分の世界観」を表現出来る絶好のステージだと若き日の僕は思いました。
16歳の僕は、アルバイトをしながら「いつか飲食店を経営したい」という大きな夢を抱きます。
初戦惨敗の20代
紆余曲折ありながらも、飲食店でキッチン、マネージメントを学んでいた僕に「飲食店開業」のチャンスが訪れます。
「自分なら絶対成功出来る」
という根拠の無い自信は、今思えば「何も知らない」若さ故の思いだったのかも知れません。
初めての飲食店経営は、わずか4年足らずで終了。
その後「もう一度1から飲食経営を学びたい」と思い立ち、当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった「グローバルダイニング」に入社します。
20代だからこそ出来る「リスタート」ですね。
しかしグローバルダイニングでは、その激務に体が耐えきれず1年持たずにリタイヤします。
ベッドから起き上がる事も出来ない日々が続き、飲食店経営の道を断念するしかないとまで思い詰めた苦悩の日々を送りました。
3カ月ほど休養の後、すかいらーくの営業本部に入社します。
グローバルとは比べ物にならないくらい、体に負担が掛からない環境でリハビリを兼ねて2年間働きます。
怒濤の30代
すかいらーくでリハビリ後、32歳ににして再び飲食店を自力でオープンします。
そこで4年間無休の営業を続けて、自分にとって飲食業の限界を知りました。
36歳にしてその店を譲渡し、未経験だった芸能、出版、映像の業界に飛び込みます。
ここでの1年間はほとんどお金にはなりませんでしたが、そこで出来た人脈から秋葉原でメイドカフェを開業する流れになります。
秋葉原のメイドカフェは、爆発的にヒットしました。
その原資を使い、当時出始めた「スマートフォン」に目を付けます。
アキバのメイドカフェを譲渡し、今度はスマホ用のアプリケーションを開発する会社を自力で立ち上げます。
完成したアプリは、芸能や出版、政治まで幅広く使用され会社は順調に拡大して僕は40歳を向かえました。
40代で再びのゼロスタート
会社がようやく軌道に乗り始めてから、僕の心にくすぶるものがありました。
「このまま商売を続けて生きていく事が、自分にとって正しい事なのか?」
悩みに悩んだ挙げ句、昨年、僕は自分の創った会社を退社します。
無職期間を経て、まったく未経験の「介護福祉・医療」の世界に飛び込みました。
9カ月間、看護助手として経験を積み、この4月からは介護士として都内の二つの施設で働いています。
長いようで短かった20年
自分で書起してみると、なんと破天荒な人生なんですかね。
もうめちゃくちゃです。
ある人は「色々やって凄いですね」と言いますが、僕はひとつのことを成し遂げていないだけで、凄くもなんともありません。
最初に立ち上げた飲食店が成功し、多店舗展開していたら、きっと今でも飲食業をしていたと思います。
どのジャンルでも「大きな成功」を掴めなかったからこそ、今の介護士という仕事に辿り着いたんだと思っています。
僕は「大きな成功」も掴めませんでしたが、破産してしまうほどの「大きな失敗」もしませんでした。
これこそ僕の「器」だと今になって思います。
10代のころ、自分の未来は「無限」でした。
見る夢も「無限」だった。
僕に才能と運、そして現実以上の努力があれば、日本中の誰もが知る飲食チェーンを築きあげていたかも知れません。
しかし44歳になった今、その「無限の可能性」は限りなくゼロになりました。
夢を見て、それに向かって全力疾走する。
そうすると「答え」が見つかります。
僕は40歳を過ぎて、自分自身の「可能性」への「答え」を出しました。
20年。
長いようで、経ってしまうとほんとうに短い時間でした。
答えを出せない人生
僕の人生は、はちゃめちゃです。
残っているものなんてひとつもありません。
でも
後悔はひとつもありません。
「あの時、あれをやっていればどうだったんだろう?」
もし僕が、飲食店開業の夢を実現せず、妥協したサラリーマン人生を歩んでいたら、僕自身の「可能性」への答えは一生出なかったと思います。
決意と覚悟をもって選択し、行動する。
そして全力疾走すれば、自分が何者なのかわかります。
僕のように
「やってみたけど、やっぱりダメだったよね。」
でもいいと思うんです。
自分に「答え」が出ず、一生後悔するよりは、100倍ましな人生だと振り返ってなお僕はそう思います。
まとめ
僕は「もう44歳」です。
ではあと20年経った64歳の時、いまの自分をどう思うのでしょうか?
今思うと、20年前の24歳の僕は本当に「何も知らない」人間でした。
自分が64歳になった時、44歳の自分のこともそう思えるほど多くの経験をしているのでしょうか?
僕は介護医療の業界に、残りの20年を掛けようと今は思っています。
しかし、それもまた時間が経てば変わるのかも知れません。
大切な事は「今日、未来の目標を持つ事」だと思います。
10代20代の若者が、夢や目標がなく生きている人が多い時代です。
近くの目標でも構いません。
とりあえずのゴールを自分に設定してみて下さい。
ゴール地点が決まらなければ、レースは始まりませんからね。
時間は巻き戻す事は出来ません。
あなたが44歳になったとき、自分自身をどう思うか、そこに答えが出ているのか、考えてみてはいかがでしょうか?
介護士ベイベー