こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。
「10年後の自分」想像した事、考えた事はありますか?
逆に今から「10年前の自分」を考えた時、今の自分を想像出来ましたか?
堀江貴文(ホリエモン)さんは以前近畿大学での卒業スピーチで未来について語った事があります。
堀江貴文さんの近畿大卒業式スピーチ 全文書き起こし – 単純に狩り
「10年先のことなんて考えても無駄だ」
「未来を恐れずに今を一生懸命に生きろ」
そう言っています。
確かに10年後の未来を想像するのは、特に現代では非常に難しいと思います。
しかし、世の中や環境を予測する事によって「少なくとも」自分がどうあるべきか、という指標はできると思います。
今日はそんなお話です。
10年後の未来の姿を考える
ホリエモンが近畿大学のスピーチで語ったように、未来はITの急速な発展によって、大きく変化していることは間違いありません。
今日現在、世界中でIOTに向かって世界の多くの企業や研究が進んでいます。
(IOTとは?以下参照)
10年後には、Pepperくんのようなロボットが街のあちこちにいて、僕らの生活のいたるところにAI(人工知能)が機能します。
ホリエモンの言うところの「未来はわからない」は、こうした技術的な文明が、どこまでどのように発展するか「わからない」ということです。
あのITの寵児ホリエモンでさえ、渋谷のスクランブル交差点を歩きスマホをしながら人々が闊歩する姿を、5年前に想像出来なかった訳です。
10年後は、今とは比較にならないデジタルデバイスの進化と、それに伴う僕らの生活環境の変化は間違いないものですが、そこを予見するのは僕も意味の無い事だと思います。
「未来」と聞くと、そういった「テクノロジー」ばかりをイメージしがちです。
でも僕が言いたいのはそういう「未来」ではありません。
不確定な「未来」のカタチを幻想しても、自分の10年後は想像することに役立ちません。
では「確定」している日本の「未来」とはなんでしょう?
そうです。
10年後の日本に「確実」に訪れる未来。
それは「超超高齢化社会」です。
超超高齢化社会
日本の人口はピークを迎え、今や下降線に入っている事をみなさんはご存知ですか?
2012年 1億2753万人
2013年 1億2730万人
2014年 1億2701万人
2014年の65歳以上の高齢者の割合はおよそ26%です。
http://www.stat.go.jp/data/topics/topi721.htm
それが2025年になると30%を超える数字になることが、ほぼ確実と言われています。
これは「2025年問題」と言われ、昭和22年から24年に生まれた「第一次ベビーブーム」いわゆる「団塊の世代」が2025年にはすべて75歳以上になります。
僕はこの「団塊の世代」の子供で「第二次ベビーブーム」世代です。
なぜ「第三次ベビーブーム」は起きなかったのでしょうか?
僕は「バブル崩壊」の要因が大きかったように思います。
右肩上がりだった日本の経済成長が止まり、デフレ、多様化の時代に入った。
その先行き不透明感が、僕ら「第二次ベビーブーム」がこぞって子供を作れなかった要因のひとつだと思います。
つまり2025年問題は、何が問題化と言うと、2025年に必要とされる「介護医療費」は21兆円(ちなみに現在では約4兆円)。これを捻出出来る頭数がいないわけです。
右肩上がりで人口が増えていれば良かったのですが、それを止めてしまったのは僕ら「第二次ベビーブーム」世代と言っても過言ではありません。
人口減少により、財源は減る。
でも必要なお金は増える。
つまり国民一人一人の負担が増える。
今のままだとそれしか方法は無いんですよね。
昭和の時代がほんとうの「豊か」だった理由
別な視点で見ると、世の中は今後さらなる「多様化」をして行くでしょう。
「多様化」とは、一言で言うと「選択肢が増える」と言う事です。
多様化は、一見生活する僕らにとって便利なもののように見えます。
多様化の例を挙げるとこんな感じです。
【多様化の例】
昭和の時代「まんまる町」には一軒しかスーパーがありませんでした。(Aスーパー)
1000人の町民が一軒のAスーパーで買い物をするしか選択肢が無かった。
そこにもう一軒新しいBスーパーが出来た。
すると500人のひとはAスーパーで買い物をし、残りの500人のひとはBスーパーで買い物をするようになった。
Aスーパーの売上は半減します。
そこでAスーパーでは客数を増やす為に、Bスーパーよりも値段を下げます。
するとBスーパーも対抗して値段を下げます。
価格競争が起こります。
すると「まんまる町」の町民は、Bスーパーが出来た(多様化)したとたんに、以前よりモノが安く買えるようになった。
これは嬉しい事ですね。
でも、「まんまる町」にはAスーパーで働く従業員もいます。
Bスーパーのおかげで売上の下がったAスーパーでは、従業員の給料をカットするしかありませんでした。
給料は減ったものの、以前よりモノが安くなったので、何とか生活する事は出来ましたが、以前のように「安定、安泰」の気持ちは無くなりました。
↑例ここまで
この「まんまる町」多様化が進むとどうなるでしょうか?
スーパーだけでなく、ガソリンスタンドや洋服屋、飲食店、カラオケやクリーニング屋など、町中のあらゆるお店が多様化したら、町民の選択肢は増え、安く買い物が出来るようになった、けれど自分の収入は減る一方、ということになります。
この「多様化」がバブル崩壊以降、もの凄いスピードで日本中を飲み込んでいるのです。
今後も「多様化」のベクトルは止まりません。
10年後は今よりかなり悲惨な状態になることは間違いないです。
モノはもの凄く安く、良いものばかりが世の中に溢れます。
とっても「豊か」な状態に見えます。
しかし「収入」は減り続けます。
そんな時代でも、僕らはこころの「豊かさ」を維持し続けることができるでしょうか?
10年後の地獄でどう生きるべきか
社会が「多様化」するということは、働き口は増える、ということです。
アベノミクスによって、新卒者の就職率が向上したと言われていますが、それは当たり前のことです。
だって働き先の「数」は増えている訳ですから。
極端に言うと、月収で20万円程度の仕事は今後も増え続けるでしょう。
つまり年収300万を切る位のひとが、ますます増えて行くのです。
手取り20数万円の中から、社会福祉費を含めた「税金」は増える一方です。
今のままでは、どんどん生活は苦しくなり、自分の老後資金を溜める余裕なんて一ミリもありません。
では、こんな地獄の10年後をどうやって生きていくべきなのでしょうか?
昭和の時代「仕事」というと「正社員」でひとつの仕事をするというのが、常識でした。
しかも一度就職した「会社」には一生居続けるという「終身雇用」の概念まであったのだから、今となっては驚きです。
10年後の未来を考えた上で、いいかげんこの「過去の常識」は捨て去るべきです。
月給20万の仕事は、多くあるわけです。
だったらひとつの仕事で月給40万を目指すのではなく、20万の仕事を2つして40万にするという考え方です。
「副業」を持つ、という考え方ですね。
幸運なことに、今の時代ではブログでお金を稼ぐ事も出来ますし、副業としてやれることはネットを見れば山のようにあります。
現在「副業」をしているひと、していないひとがいると思いますが、10年後には間違いなく「副業」無しでは生活していけない時代が来ます。
自分の収入が、一箇所からしか取れないひとは生きて行けない時代が来るのです。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
僕が言いたいのは、今よりもっとお金持ちになるためにFXをやれ!とか、この情報商材を買え!とかではありません。
間違いなく来るであろう世の中の動きから、「生活をするために」副業は必要なものになる、ということです。
「今の仕事の収入が少ないから、転職を考えている」
という感覚はすごく古いものだと思います。
今の仕事をしながら「副業」でいかに別収入を作るか。
そう自然に考えられるように、そろそろならないと、本気でヤバいですよ。