こんにちは。無職から看護助手になった、ままるです。
ままるは、総合病院の内科病棟に勤務しています。
呼吸器内科、循環器内科、血液内科、消化器内科・・・
複数の内科で入院を強いられた患者さんと接していると、亡くなる方を目の当たりにする機会も多々あります。
今日は、ままるの死生観についてお話ししたいと思います。
病棟のアイドルあべちゃん
「阿部さん」という80代のおばあちゃんが長期入院していました。
阿部さんは寝たきりで、その白髪をお孫さんでしょうか、お子さんでしょうか、ピンクのゴムでおさげにされていて、かわいいキャラクターのような見た目にされていました。
病状が安定している時は、冗談をいったり明るく笑う人で、病棟では看護師たちから「あべちゃん」と呼ばれ、アイドルのように親しまれている患者さんでした。
僕はあべちゃんの部屋に毎回お茶を配りに行っていました。
お気に入りの黄色いコップにお茶をそそぐと、
「ありがとうね」
と笑顔で言ってくれました。
あべちゃんは「痛いよー、助けてよー」と苦しがることが頻繁にありました。
その度に看護師や医師が処置をし、その場を凌いでいる感じでした。
夜勤帯にあべちゃんの部屋を覗くと、すやすやと眠るその顔には「いったいどこに病があるのだろう」というくらい穏やかなものを感じました。
しかし、一旦病状が悪化すると、「痛いよー、助けてよー」と必死に訴えかけられ、医師を待つ間、僕の腕にしがみつき「先生ー、助けてー」と涙目で訴えます。
あべちゃんには、僕が看護師なのか看護助手なのか医者なのか分かりません。
何もすることの出来ない僕は、ただあべちゃんの手をさすることしか出来ませんでした。
ある日あべちゃんの病室の前で、ご家族との会話が聞こえました。
あべちゃん「もう辛いから、さよならするよー」
ご家族「なに言ってんのよー、まだまだ長生きしてね」
その時はまだ、ご家族も冗談まじりのような感じでした。
それから数日して出勤した日、出勤するやいなや看護師から「あべちゃん今夜当たり亡くなりそうだから」と報告を受けました。
夕方の5時には、ご家族の方全員が病室に集まっていました。
あべちゃんとの別れ
いつもとは違う緊迫した一日が始まりました。
あべちゃんの病室の前を通っても、普段聞こえる「痛いよー、助けてよー」の声は一切聞こえません。
聞こえるのは静寂の中に響く、モニターの機会音だけでした。
深夜一時を過ぎた頃、ナースステーションでモニターを見ていた看護師が、我に返ったように急に立ち上がりました。
「きた」
看護師はそう一言だけ言い残し、あべちゃんの病室に走りました。
医療業務に関われない僕は、看護師の指示が無ければ病室に入ることは出来ません。
なす術も無くモニターの数字をただ呆然と見つめるだけでした。
心拍数をあらわすデジタル表示の数字が、30、29、28とぐんぐん落ちて行きます。
10、9、8、7・・・まさにカウントダウンのようにひとつずつ数字が減って行きます。
3、2、1、0
数字が「0」になりました。
あべちゃんが旅立った瞬間です。
生きることと死ぬこと
それから数時間かけて、医師からご家族への説明と、ご家族との最後の別れが終わったあと、あべちゃんがひとり残された病室に入りました。
眠っている時とはまた違う、安らかな顔であべちゃんはそこに横たわっていました。
生前の最後は、あんなに苦しそうだったのに、死んでしまった後はなんと穏やかな顔なんだろう。
人生という長い道のりを終えて、背負っている物をすべて降ろしたような安堵感、そんな風に見えました。
看護師たちと、あべちゃんを最後にきれいにする作業「エンゼルケア」を済ませます。
その間考えました。
生きていることってなんだろう。
死んでいくことってなんだろう。
幸せってなんだろう。
あべちゃんがいつも使っていた、黄色いコップが目に入りました。
僕はそのコップを最後にきれいに洗って、あべちゃんのベッドサイドに置きました。
天国でお茶を配られたら困るからね。
こころの中でそう言って、あべちゃんの病室を後にしました。
さよなら、あべちゃん。