つぶやき

大切な人が病に倒れたときにあなたは何ができますか?

こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。

僕は現在「介護職員初任者研修」の資格取得の講座に通っています。

【介護職員初任者研修】おじさんが受講した内容と費用とおすすめする意味 – グッドノージョブ

その講義の中では、介護に関する基本的な考え方や医療の基本的な知識を学びます。

なぜ高血圧はいけないのか?

脳梗塞の起こる原因は何か?

など、目からウロコの内容が目白押しです。

僕は現在看護助手として総合病院に勤務していて、日々医療や介護について考えさせる日々を送っています。

今日はそんなお話です。

Patient care

看護師にできること、介護士にできること

看護師は「医療」の領域の仕事をします。

医療の領域とは、ひとの病を「回復」させる過程を言います。

一方介護士は、ひとの「自立」を助けます。

 

人間誰しも高齢になってくると全身の筋力が弱まったり、脳の機能が低下していきます。

その結果、今までは自分で出来た事、食事や歩行、入浴や排泄などが自らの力だけでは不可能になります。

このような日常生活動作(医療介護用語でADLと言います)を「回復させる」のではなく、あくまで「助ける」それが介護士の仕事です。

例えば、ある高齢者が外出をしたい。

靴を自分で履く事は出来ても、歩行する事が困難な場合、介護士が靴を履かせる行為は「過剰介護」になります。

もちろん靴を履く事さえスムーズには行えない高齢者の場合、介護士が履かせた方が楽だと思います。

ですが、介護士がそれをやってしまうと、その高齢者の「自立」を阻害してしまうのです。

出来る事まで奪ってしまっては、その高齢者は益々「自立」から遠のいてしまいます。

介護とは、その対象になるひとの「できること、できないこと」を明確に認識して、そのひとの日常生活における「自立」を助ける事なのです。

医療と介護の狭間の葛藤

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僕は現在「看護助手」という立場で病院に勤務しています。

「看護助手」とは「看護師」と違って医療行為を行う事が出来ません。

【看護助手】病院での夜勤の仕事の具体的内容 – グッドノージョブ

その為、患者さんを前にしても介護士に近い「自立を助ける」ことしかできません。

目の前で苦しんでいる患者さんを見かけたら、看護助手は自分で何かをするのではなく「看護師やドクターをそこに呼んで来る」が仕事になります。

無力感を感じる事も多々ありますが、僕は看護助手の仕事の中でも「自分にできること」をなるべく見出すようにしています。

not doing but being

「何も出来ない。でも、ただいるだけでいい。」

が直訳のこの言葉が、僕の看護助手としての仕事の核になっています。

not doing but being とは

「ホスピスの母」と呼ばれた、シシリー・ソンダースというイギリスの医師の言葉です。

欧米の医療現場ではこの

not doing but doing

の言葉は非常に良く使われているそうです。

ある末期がんの患者さんは、その想像を絶する痛みから、毎日3回の痛み止めの治療を行っていました。

ひどい時には一時間おきに苦痛を訴え、毎回看護師を呼んでいたそうです。

そんなある日、その患者さんの家族が面会にきました。

かわいいお孫さんを相手に、久しぶりに笑顔が溢れる患者さん。

面会に来た家族は、午前中から夜まで病室にいたのですが、不思議な事に、家族が面会に来ている間、その患者さんは一度も苦痛を訴えたり、痛み止めを要求したことは無かったと言います。

鉄砲で撃たれた時よりも痛い痛み

先日の勤務中、こんなことがありました。

末期がん患者の山中さんは、95歳のおじいちゃんです。

時折激しい痛みに悩まされ、その度に看護師に痛み止めを処方されています。

そんな山中さんが、夜中の4時過ぎにナースコールを押してきました。

山中さんに処方する痛み止めは、回数が制限されていて看護師でももはやなす術はありません。

それを知っていて僕は山中さんの病床に向かいました。

枯れるような声で山中さんは苦痛を訴えます。

あまりの痛みに、一睡も出来ないということでした。

山中さんは僕に

「背中をさすってくれ」

と言いました。

僕は山中さんの背中をそっとさすりました。

ごつごつと背骨が浮き上がっている、ひどく痩せた山中さんの背中をさすっていると、山中さんが苦痛に歪みながらも、話を始めました。

「子供の頃に鉄砲で撃たれたことがある」

「その時の痛みより痛い」

胸を抱えながら、山中さんは震えた声で僕にそう言いました。

僕は山中さんの話を聞きながら、背中をさすり続けました。

しばらくすると山中さんは

「少し楽になったよ」

と僕に言いました。

それから30分ほど経って、再び山中さんの病床を覗くと、山中さんは寝息を立てて眠っていました。

翌朝、お茶を配りに再び山中さんの病床を訪れました。

「あなたのおかげで眠ることが出来たよ」

「ありがとう」

山中さんは、歪んだしわしわな顔で少しだけ笑いました。

大切な人が病に倒れたときあなたが出来る事

人間とはほんとうに不思議な物です。

病には原因があり、それを治療することで元の状態に戻ります。

しかし、医療では説明出来ない「なにか」が人間の中にあるのもまた確かな事です。

医療の資格が無くても、医療の知識が無くても、ひとの痛みや苦悩を取り除くことは出来ます。

not doing but doing

もし、あなたの大切な人が病の床に伏した時、あなたが出来る事。

それはあきらめずにそのひとに寄り添う事です。

人間はどんなに高尚な治療を受けても、ひとりぼっちの孤独の中では生きていく事が出来ません。

誰かに必要とされ、誰かを必要とする。

それが人間の生きていく為の大前提なのです。

まとめ

いかがだったでしょうか?

医療は自分と遠い存在だとは思っていませんか?

医者や看護師は特別なものだとは思っていませんか?

介護は他人事だと思っていませんか?

確かに、専門の分野はその専門家でしか分からない事が多々あります。

でも医療や介護の対象は、あくまでも自分と同じ「人間」です。

どんなに医療や化学が発達しても、人間の本質的な全てを網羅することは不可能です。

人間とはそれほど壮大なものです。

それだからこそ、自分の近くにいてくれる人間を大切にしましょう。

そしてその大切なひとに何かあったとき、何かの代償を求める事無く寄り添うことが出来る心を持ちましょう。

介護や医療は専門家だけが出来る事ではありません。

気持ちさえあれば、あなたにも出来ることなのです。