こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。
「メッシー、アッシー、舘ひろし」
でおなじみの平野ノラが大ブレイク中です。
「ウーパールーパーの餌でも買って」
「シーマ転がして来る」
など、おじさん世代にはたまらない爆笑バブルネタ満載の平野ノラですが、いったい現在の10代20代のひとは彼女のギャグの意味が分かるんでしょうかね…
間違いなく日本の歴史の一ページを痛烈に彩った「バブル世代」。
平野ノラに見る世代論を少々。
今日はそんなお話です。
平野ノラとは
今年大ブレイクしたワタナベエンターテイメント所属の女芸人です。
最近では、金スマなどで彼女の生い立ちを紹介する企画が多くオンエアーされています。
芸人を目指していた20代半ば、オーディション落選により一度は芸人人生を諦め、一般OLとして働いていた平野ノラ。
婚約者からプロポーズされ、結婚秒読みまでいくものの、芸人の夢を捨てきれず彼氏と別れて再び芸人への門を叩きます。
1978年生まれ、現在38歳の平野ノラはバブル世代からは10年以上離れています。
その為、彼女の表現する「バブリー」は自らが経験した「本物」ではなく、努力家である彼女が後に勉強して得た「知識」としての「バブリー」なんですね。
だから平野ノラのバブリーギャグは、本物とは微妙に違っている情報が満載なわけです。
そのチグハグさが、おじさん世代には絶妙に面白いんですね。
さすがにバブル時代とは言え、ワンレンボディコンのギャルが、ショルダーフォンを肩から下げて街を闊歩はしていませんから笑
バブルは象徴の賜物
彼女がネタにする
「ショルダーフォン」
「ワンレンボディコン」
「土地ころがし」
「アッシー、メッシー」
などのワードは、どれもバブル時代の象徴とも言えるワードです。
そこに時代として流行した
「ウーパールーパー」
「レインボーブリッジ」
「吉田栄作」
「舘ひろし」
「ランディ・バース」
などの人やコトのワードが折り混ざっています。
あまりにも印象が強いワードの組み合わせなので、細かい時代背景などがぼやけて
「なんだかバブルっぽい」
という懐かしさだけで、おじさん世代は笑えてしまう。
これは1980年代から1990年代初頭に掛けての「バブル時代」が、本当に派手できらびあかな時代であった裏返しであると言えます。
30年後に2016年を象徴出来る芸人が誕生出来るか?
30年後と言えばざっくり2050年です。
2050年に2010年近辺のネタで人を笑わせられる芸人が、誕生出来ると思いますか?
今年の流行語大賞は
「神ってる」
でしたが、なんだか無理矢理感が否めません。
「ポケモンGO」が大ブレイクした今年でしたが、30年経ってポケモンGOは時代の象徴になれるのでしょうか?
時代が成熟しきってしまった現在では、時代を象徴させるほどの流行を生み出すことは非常に困難です。
もはやこれ以降の未来に「バブル時代」を超える象徴的な時代が来る気がしないのは僕だけでしょうか?
便利と楽しいは違うという事実
時代はネットの普及や進化も含めて、益々便利になって行くと思います。
でもそれは、既存のものがバージョンアップされていくようなイメージで、いままでまったく見たこともなかったものが出現する、というような感動はほとんど無いように思います。
Amazonのダッシュボタンが話題ですが、確かに便利なのかも知れません。
でもそこに「楽しさ」や「感動」は無いんですよね。
バブル時代の象徴のひとつである「ショルダーフォン」。
当時無線で電話が出来るなんて、まったく夢のような話でした。
ダブルのスーツに身を固めた不動産ブローカー風の男が、あの巨大な箱をドヤ顔で抱えていた絵図らを初めて見た時は、心底こころが震えたものです。
これまたバブルの象徴として有名な
「ジュリアナ東京」
当時あれほど、きらびやかでクレイジーは場所は都内に存在しなかった。
モノが無かった時代は、新しいものが次々と創造出来る今思うと夢のような時代だったんですね。
ネットの普及で、僕らは世の中の全ての情報を、自分のたった数ミリの端末で得ることが出来る時代になりました。
でもなんか
楽しくないんですよね。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
バブル時代当時を知る読者の方には、共感できる内容かも知れません。
でも10代20代のひとには、いまいちピンとこない記事のような気もします。
平野ノラの人気の理由が今ひとつ分からないように、今の若い世代のひとには説明するのが難しい話題なのかも知れません。
単純に
「昔は良かった」
というおじさんのボヤキの一面もありますが、重要なのは時代が成熟点に達しているということです。
成熟したものを未成熟に戻すことは当然不可能で、この先成熟はさらなる成熟を目指して進むのみだと思います。
成熟は完成です。
未完成なものの中にこそ「楽しさ」の多くは存在するのであり、完成した現代に「楽しさ」はほとんど期待出来ません。
「バブル再来」
を願うわけではありませんが、世の中が「より便利な時代」へ進むより「より楽しい時代」に進むことを願って止みません。