こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。
このブログのメインテーマである「幸せに生きる方法」。
自分は「幸せになれない」と悩んでいる方はいませんか?
日々の生活の中で、僕はことあるごとに「幸せ」について考えています。
人の一生の時間は有限です。
【お金欲しい】そんなあなたに20億円タダで差し上げます。 – グッドノージョブ
いま僕の文章を「おっさんのたわごと」として読んでいる若者も、いつかは確実に40代になるし、いつかは確実に高齢者になります。
限られた自分の人生の中で「幸せに生きる」ことが出来なければ、最後に目を閉じる瞬間に悔やまれることは間違いないでしょう。
考えれば考えるほど難しい「幸福論」。
今日はそんなお話です。
幸せってなんだ?
幸福論を唱えることが難しいのは「幸せのカタチ」というのは人それぞれで、定義付けが非常に難しいことであるのも原因のひとつです。
人が羨むような煌びやかな人生を送っている人が、必ずしも「幸せ」とは限りませんし、路上で生活している人が必ずしも「不幸」だとは言い切れません。
「幸せ」とは誰でもなく、自分自身で感じることしか出来ない感情
なのです。
とは言え、自分自身でも何が幸せで、どこに向かえばその幸せが待っているのかを考えるのは難しいことですよね。
「幸せに生きる」ための第一歩は自分の「幸せ」について具体的に自分の中に落とし込むことなのかも知れません。
世界幸福度ランキング2016
世の中には「世界幸福度ランキング」という指標があります。
調査対象国は68カ国で「純粋幸福度」(幸せを感じている人の比率ー不幸を感じている人の比率)で算出しているランキングです。
ちなみに世界平均の純粋幸福度は58ポイント。
2016年度日本は52ポイントで、第28位です。
ちなみに一位から五位まではこんな感じです。
- コロンビア(80P)
- フィジー(82P)
- サウジアラビア(82P)
- アゼルバイジャン(81P)
- ベトナム(80P)
興味深いデータは、先進7カ国(G7)のランキングが軒並み低いことです。
23.カナダ(60P)
28.日本(52P)
42.アメリカ(43P)
47.ドイツ(40P)
54.イギリス(37P)
57.フランス(30P)
57.イタリア(30P)
世界の経済的先進国が、軒並み幸福度指数の後進国になっています。
世界平均の58ポイントを上回る、純粋幸福度を持つ国はカナダのひとつだけです。
「お金=幸せ」で無いことを如実に示しているデータであると言えますね。
お金が無いから不幸という間違い
世の中のほとんどの人が「お金」を欲しがっています。
もちろんお金が無くては生きて行けませんし、あればあるだけ必要なのがお金というものだと思います。
しかし「お金が無い=不幸」というのは間違っていると思います。
お金が無いひとが、お金があるひとを非難したり羨んだりしている行為は、もの凄くナンセンスな気がするんですよ。
重要なのは「お金」があることではなく「幸せ」であるかどうかだと思うんです。
世の中にはお金が無くても「幸せ」なひとは大勢います。
先の世界幸福度ランキングが示しているように「お金ではない何か」に気がつかなければ、ひとに幸せが訪れることは一生無いと思います。
貧困の対義語は金持ちでは無い
経済的後進国の人々は、経済的に貧乏であっても「貧困」では無いと思うんです。
貧困とは「経済的に貧乏でかつ生きることに喜びを感じない状態」を言うのだと思います。
経済的に貧乏でも、前向きで喜び溢れる日々を送っている人々は「貧困」だとは言えません。
現在の日本で、そのような人をどれだけ見かけることが出来ますか?
お金が無いひとは、生活に困窮し未来を絶望視する。
日々の生活に余裕などなく、なんの為に生きているのかさえ分からない。
それでもその人達が得ているお金は、コロンビアやフィジーで暮す大多数の人よりも多いはずです。
考え方さえ変えれば、日本人でも充分に幸せに生きれるはずだと僕は思います。
貧困の対義語は裕福ではなく、幸福なのですから。
幸せを感じさせるのは他人との関わり
現在の日本では「結婚したく無い」というひとが増え、ネットの普及や派遣などの働き方の多様化により「人と関わる」ことをどんどん避けれる社会になってきました。
経済的後進国が、幸福度指数の先進国である理由のひとつは「人との関わり」にあるような気がします。
有名な金八先生のセリフにもあるように、ひとは支え合うから人と書きます。
ひとと人が関わりあうのは、人間としての本能や本質といった次元の行為だと思います。
現在では「ぼっち」で生きるのになんの不自由もしない世の中になりました。
「ぼっち」は気楽です。
自分自身の意思決定だけで生きて行ける環境は「楽」なんですよね。
でも「楽」=「幸せ」かと言われればこれもまた違うような気がします。
確かに人と関わるのは面倒くさいです。
煩わしいし、やっかいごとも増えます。
しかしひとは人と関わり、頼ったり頼られたり、お互いがお互いでいる存在意義を確認し合って生きることこそ、幸せの原点なような気がします。
多くの経済的後進国の人々が「幸せ」を感じているのは、人間の根源にある欲求「人との関わり」が関係しているのは間違いない事実だと思います。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
なぜ僕がこの記事を書こうと思ったかと言うと、病院に務めていて最近思うことがあります。
長期入院の患者さんも多い病棟ですが、同じ寝たきりでも患者さんには大きな差があります。
一方の患者さんの部屋には、毎日家族がお見舞いに来ます。
もう一方の患者さんの部屋には、ほとんど来客はありません。
ある患者さんの部屋には、本当に毎日奥さんと子供、その孫まで含めた「一家」がお見舞いに来ます。
わいわいやっているその部屋は、さながら家庭のリビングのようです。
そんな様子を見ると「この患者さんはなんて幸せなんだろう」と心の底から思うんです。
その患者さんはきっと素敵なお父さんだったんでしょうね。
自分の人生を家族の為に懸命に捧げた結果なんだと思います。
そのお父さんも人生の道中は苦しいことばかりだったのかも知れません。
でもその結果「家族」というカタチに見える「幸せ」が残った。
その患者さんはもう余命はいくばくもありません。
でも毎日笑顔で満ちあふれているその部屋を通る度に「幸せ」ってこういう事かもしれないなぁと考えさせられました。
あなたの幸せはなんですか?
今一度考えてみてもいいことかも知れません。