特別お題「おもいでのケータイ」
こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。
今日は「au おもいでケータイグランプリ」にエントリーしようと思います。
僕にとっての「おもいでケータイ」はズバリこれ。
ボス電!!
サントリーの缶コーヒー「BOSS」のキャンペーン用の景品です。
BOSSは過去に数回「ボス電」キャンペーンを行っていますが、docomoの名機中の名機「P501i」のこのバージョンは記念すべき「初代ボス電」になります。
なんとこの「ボス電キャンペーン」が行われたのは1999年。
今から18年も昔の話なんですねぇ…
今の10代20代の人には、まったくピンと来ない話かも知れませんが、アラフォー世代の人ならきっとこの貴重な体験を分かってくれるはず。笑
そんな僕の「奇跡のストーリー」をお話しします。
ボス電とは
現在では飲料水メーカーによる景品キャンペーンは、当たり前のものになっています。
各メーカー様々なブランドによる販促品や体験をプレゼントとして消費者にアピールしていますよね。
しかし時代は1999年。
世紀末ですよ。
サントリーの缶コーヒー「BOSS」のキャンペーンは、飲料水メーカーによる大型キャンペーンの先駆けだったように思います。
当時もメーカーによるキャンペーンは無かった訳ではないと思いますが、これほど高価な商品を目玉にしたキャンペーンは少なかったと思います。
当時の携帯端末事情
今では信じられないかも知れませんが、当時は「携帯端末」の価値が今よりはるかに高かったように思います。
携帯端末自体が黎明期であり、毎年毎年その進化は目覚ましいものがありました。
年々小型化され、バッテリーの持ちが飛躍的に伸びていて「カメラがついた」「着メロが流せる」など、今では当たり前の機能が次々と実装されていた時代です。
ちなみに1999年当時の僕の携帯は、連続待ち受け時間が12時間程度のものだったように思います。
連続通話時間では無く、待ち受け時間がですよ?
通話なんてしようものなら、あっという間にバッテリー切れになると言う、今では考えられない代物でした。
そんな時代だったから、携帯端末の「新機種」は皆の憧れでもありました。
年々発売される新機種には、自分の端末には付いていないカメラが搭載されていたり、着メロが流れたりするわけです。
そうなってくると「新機種」を持っているひとは優越感がハンパではなく、型遅れになった機種のままのひとは劣等感にさいなまれました。
喫茶店でお茶をすると、新機種を持ってるひとはドヤ顔で携帯をテーブルに出していた時代です。
いやぁ、時代って恐ろしいですよね。笑
ボス電の魅力
これも今では信じられない現象だと思いますが、当時は携帯端末本体の色を変えたり、ステッカーを貼ったりのいわゆる「デコ携帯」の黎明期でもあったように思います。
特に「P501i」は、端末本体のカバーを透明なものに変更した「スケルトン仕様」が一世を風靡し、着信があるとキラキラ光る「LEDアンテナ」が爆発的にヒットしたのは、ちょうどこの頃だったのではないでしょうか?
今、当時を思い出しながらこのエントリーを書いていますが、思い出せば思い出すほど恥ずかしい時代です。笑
しかし当時は皆、大真面目で自分の携帯端末をカスタマイズしていました。
それほど「携帯端末」自体が生む「アイデンティティー」は強烈なものだったんですね。
そんな時代に突如始まった、サントリーの「ボス電」キャンペーン。
あのdocomoの名機「P501i」をベースとして携帯本体のカラーはなんと「ゴールド」!
さらに待ち受け画面には「BOSS」のロゴがデフォルトで表示され、着メロもボス電のCMソングがデフォで入っていたと思います(これは記憶があいまいですが、多分)。
さらに当時docomoが始めた新サービス「iモード」にも対応。
これによって「@docomo.ne.jp」のメールが使えるようになったんです!!
それ以前の僕の携帯では、eメール機能がありませんでしたから、これもまた羨望のまなざしを向けられる一つの要因でした。
BOSSの缶コーヒーがモチーフになった「携帯ストラップ」が付いているのもニクイ。
とにかく当時は、ものすごくインパクトがあった景品だったわけです。
当時の僕はBOSSのキャンペーンCMを見て一目惚れ。
なんとかこれを手に入れようと、必死の戦いが始まるわけです。
ボス電をゲットする方法
ボス電キャンペーンの応募方法は、BOSSの缶コーヒーに付いている応募シールをハガキに貼り郵便で送るという、今考えると非常にほのぼのとしたアナログ手法です。
記憶が定かではありませんが、確か一口6枚?10枚?とにかく意外とコーヒーの本数が必要です。
僕は自他ともに認める「缶コーヒー」好きです。
一日一本は必ず飲みましたが、そんなペースではまったく応募シールは集まりません。
キャンペーンが始まるや否や、僕は自分が飲む缶コーヒーのペースを急激に上げました。一日4,5本は当たり前に飲んだような気がします。
もはやサントリーの思うつぼですね。笑
しかし、それでも集まるシールは微々たるものです。
そこで僕は、当時仕事を終えた深夜に近所の自販機のゴミ箱を漁るという、非常にアグレッシブな作戦に出ました。
最初の頃は自販機のゴミ箱に、応募シール付きの空き缶が山ほどあって毎日数十枚のお宝シールをゲットしてほくそ笑んでいました。
しかしその作戦も長くは続きません。
ある日いつものゴミ箱を漁ると、シール付きの空き缶はゼロ!
ライバルに先を超されていたんですね…
着々と応募シールを集めていた僕でしたが、何か他に飛躍的にシールを集める方法は無いかと考えました。
そしてついに、誰も真似の出来ないミラクルな方法を思いついたのです!
僕が初代ボス電キャンペーンで当選出来た理由
僕は当時、千葉県のある場所でレストランを経営していました。
そうです。
僕は経営者としての権限があったのです。
飲食店ですから、当然多くの飲料メーカーと取引があります。
サントリーももちろん取引していました。
ある日サントリーを扱う酒屋の営業マンに、BOSSの缶コーヒーを大量発注しました。笑
確か30とか50ケース位は注文したと思います。
大量の缶コーヒーは、従業員の福利厚生ということでしばらく飲み放題にしました。
酒屋から大量の缶コーヒーが納品されたその日、まだ缶に貼っていない応募用のシールがシートのまま束で別に届きました。
ついにお宝をゲットしたのです!笑
という訳で、僕はこのサントリー「ボス電」キャンペーンにかなりの数の口数を応募しました。
具体的な口数は覚えていませんが、当時
「千葉で俺より多く応募した奴はいない」
という確信が持てるだけは送ったように思います。笑
そして数ヶ月…
ボス電が当たりました!!
当選の通知がハガキで届き、最寄りのドコモショップでボス電を受け取った記憶があります。
確か携帯端末が入っているdocomoの箱から違ったような…
とにかく光り輝く「ボス電」を僕はついにゲットしたのです!
ちなみに
その中でも、ボス電に至っては、初代の「P501i」仕様は、当選本数は2万本だったが、560万通もの応募があったという
全国で2万人の当選者がいましたが、なんと560万通も応募があったとは…
鬼気迫る僕の応募ハガキラッシュも、これだけの枚数があれば歯が立つはずがありません。
もちろん一枚の応募者よりは確立は高いと思いますが、今考えても非常にラッキーとしか言いようがありませんね。
ボス電は人を無敵にさせる
ボス電を手に入れた僕は無敵になりました。
あらゆる人から
「あーーー!ボス電!?」
というリアクションを受け悦に入っていました。笑
特に当時若かった僕は、夜の街のお店でも大モテです。
誰もが僕の手の中で光る「ボス電」に羨望のまなざしを向けました。
当時はプレミアが付き、ヤフオクなどで10万円を超す値段がついたと騒がれましたが、当時の僕はそんな事は一向に気にせず、ボス電を使い続けました。
使い続ける事数年、傷でボロボロになった僕のボス電は、誰からも注目されることも無くなり、静かにその役目を終えました。
一時でも僕に、夢と栄光を与えてくれた「ボス電」。
僕にとっては一生忘れられない「おもいでのケータイ」です。
ご清聴ありがとうございました。
介護士ベイベー
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