こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。
無職から、派遣の夜勤専従看護助手になって、3カ月が経ちました。
右も左も分からないまま、飛び込んだ看護医療の世界。
そこで出会った人々や、仕事の仕方を通して「看護とは何か」「介護とは何か」を少しずつではありますが、自分の中で落とし込もうと日々奮闘しています。
看護助手として働いた3カ月で得た、3つの気づきをご紹介します。
今日はそんなお話です。
初めての看護助手の仕事
医療業界をまったく知らず、無資格で完全未経験の僕が出来る仕事、それが「看護助手」です。
看護助手とは、国家資格を持つ「看護師」の補助をすることが目的のポジションで、仕事内容は大きく2つに分かれます。
- 患者さんに直接触れる業務
排泄介助、食事介助、入浴介助など患者さん本人に直接触れる業務です。
当然ですが無資格な為、直接的な医療行為(注射や点滴など)は行いません。
- 患者さんに直接触れない業務
ベッドのシーツ交換や医療機器の清掃、消毒、患者さんへの食事の配膳などを行います。
僕の場合は、看護助手の中でも特殊な「夜勤専従」という仕事です。
夜勤の看護助手の仕事は、主に「患者さんに直接触れる業務」がほとんどです。
無資格ですが、有資格者である「看護師」により近いポジションです。
看護助手をして分かったこと①
当たり前ですが、病院には日々多くの人々が入退院を繰り返します。
中には緊急入院して、その数時間後には命を落とす患者さんもいます。
長期の入院をされている患者さんと接していると、日々お見舞いや介助に来られているそのご家族とも顔見知りになり、仲良くなることも多いです。
そんな患者さんが亡くなり、悲しみで打ちひしがれるご家族を励ますこともあります。
多くの人々の「死」を目前にすると、自分の「生」の意味や「生」の根本を考えさせられることが多くあります。
「人生に無駄にしていい日は一日も無い」
そう強く実感します。
看護助手をしていて分かったこと②
看護助手をしていると、壮絶な激務である「看護師」の仕事を直接知ることが出来ます。
多くの看護師達の話を聞くと、その職業に就いた理由は様々ですが、僕が思っていた以上に「子供の頃に心臓病で入院して助けられた」とか「母親を病院でなくした時に看護師の対応に感銘した」とか言う人が多かったです。
「人の生死を左右する重大な仕事」
だからこそ、自分も誰かの役に立ちたい、と志したひとが多かったのは、とても安心しました。
いまの日本の医療も、まだまだ捨てたもんじゃない。
自分が高齢になって、いつか入院するような事があったら、そんな志を持った、医師や看護師と出会えたら幸せだと思います。
看護師の中には、40歳を過ぎて看護学校に行き、看護師になったという人も大勢います。
新卒の中に混じり、勉強して資格を取るのは容易ではありません。
でもそんな「生き方」を見つけられた人達が、いかに幸せで充実しているかを目の当たりに出来るのも、看護医療の現場の良さのひとつかも知れません。
看護助手をして分かったこと③
長期入院している、94歳のおばあちゃんがいました。
ほぼ寝たきりで、もごもごと何を言っているか分からないおばあちゃんでしたが、夜中にナースコールを押し、何かと言ってみると「寒い」と言う。
布団を追加して10分後、今度は「暑い」のナースコール。
病棟では「わがままばあさん」で通っていた彼女でしたが、ある晩いつもの通りナースコールで呼ばれた僕が行くと「寂しい」と目に涙を溜めました。
そんな彼女が、数日前の勤務の時劇的な変化をしていました。
いつもは車いすでトイレに行っていたのですが、歩行器を使って歩いて行く、と言い出したんです。
歩行器を使って自力でトイレに行って、ベッドに帰って来た彼女は
「今週退院だから。体力付けなきゃならん」
と言います。
その後ぼそっと
「もう他人に迷惑かけたくないから」
と言いました。
その言葉は、いつものモゴモゴではなく、ハッキリした口調で自分への決意を語っているようでした。
生きる事に闘志を燃やしている94歳の人間がそこにはいました。
人間の凄さをまざまざと見せつけられたような気がしました。
まとめ
看護医療、介護医療、確かに厳しい仕事だと思います。
でもそこに関わると、本当にいままで自分では見えなかった世界のものが見えるようになります。
それは43歳の僕が今まで見て来たものとは、まるで違う別次元のものです。
看護助手を初めて3カ月。
まだまだ入り口に立っただけですが、やはり間違っていなかったように思います。
自分自身の人生に行き詰まったり、迷ったりしてしまったひとにはこの「医療の入り口」に立つ事をおすすめします。
必ず今まで見えなかった何かが見えるはずですから。