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43歳無職から介護士へ。起業、転職、失業、全てを経験した「ままる」が語る「幸せな生き方」とは?

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すみだ北斎美術館オープン!葛飾北斎に学ぶブロガーとの共通点

こんにちは。無職から派遣看護助手に転職した、ままるです。

江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎をメインとした美術館「すみだ北斎美術館」が東京葛飾区に11月22日オープンします。

「すみだ北斎美術館」22日に開館 地元官民、盛り上げに躍起 :日本経済新聞

富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎ですが、その生涯に書き上げた版画作品の中に、我々ブロガーにも通づるコンテンツ作りの神髄を見ました。

今日はそんなお話です。

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富嶽三十六景 - Wikipedia

葛飾北斎とは

言わずと知れた日本の名浮世絵師です。

江戸時代を生きた彼の作品は有名で、中でも代表作である「富嶽三十六景」は誰でも一度は見た事があると思います。

葛飾北斎のイメージにある「波」の絵は「神奈川沖浪裏」で「赤富士」の絵は「凱風快晴」という表題のいずれも「富嶽三十六景」の中の一枚です。

葛飾北斎は88歳という長寿であり、180cmの長身であったとも言われています。

 

生涯3万点以上の作品を発表し、生涯を閉じる数ヶ月前まで作品を残し続けた葛飾北斎

そのコンテンツ作りの情熱や理念は、現代の我々ブロガーも習うべきところがたくさんあります。

より良いコンテンツを目指した葛飾北斎

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葛飾北斎のイメージと言えば「遠近法」。

本記事のサムネにも使用した、葛飾北斎の代表作である「神奈川沖浪裏」は、構図にコンパスと定規が使われていると言われています。

全体絵の対角線に線を引き、絵の左縦軸を半径とした縁をコンパスでなぞると、その円周上と、対角線の交差した点に、波の先端と富士山の山頂がきっちりと揃います。

こうする事により、手前でダイナミックに崩れる大波の先端から、奥に描かれる富士山の山頂へと、見ている人の視点を促す事が出来る、と緻密に計算された一枚になったそうです。

独特の色使いでも有名な葛飾北斎

「ベロ藍」と言われたプルシャンブルーは、当時多くの人達に驚きと感動をもたらしました。

より良いコンテンツを作る為に、技法や工夫を加え続けた葛飾北斎の生涯に渡る創作活動は、非常に学ぶべきものがあります。

「絵を描く」「版画を彫る」ことと「文章を書く」ことは、「ゼロからモノを生み出す」という点では共通している点が多くあると思います。

自分に葛飾北斎ほどの才能があるとはとても思えませんが、コンテンツ作りを追求し、信念を燃やすという点は、学んで実践したいところです。

なぜ葛飾北斎は偉人になったのか

葛飾北斎は、生涯で30回も名前を変えています。

彼は生涯に30回と頻繁に改号していた。使用したは 「春朗」「群馬亭」「北斎」「宗理」「可侯」「辰斎」「辰政(ときまさ)」「百琳」「雷斗」「戴斗」「不染居」「錦袋舎」「為一」「画狂人」「九々蜃」 「雷辰」「画狂老人」「天狗堂熱鉄」「鏡裏庵梅年」「月痴老人」「卍」「是和斎」「三浦屋八右衛門」「百姓八右衛門」「土持仁三郎」「魚仏」「穿山甲」な どと、それらの組み合わせである。北斎研究家の安田剛蔵は、北斎の号を主・副に分け、「春朗」「宗理」「北斎」「戴斗」「為一」「卍」が主たる号であり、 それ以外の「画狂人」などは副次的な号で、数は多いが改名には当たらないとしている[5]。仮にこの説が正しいとしても、主な号を5度も変えているのはやはり多いと言えるだろう。

wikipediaより引用)

葛飾北斎が改号を繰り返したのには諸説ありますが、「迷い」のようなものがあったのかも知れません。

僕らがブログタイトルやハンドルネームに悩むように、葛飾北斎も自身の作品に対する方向性に思い悩んでいたとすると、とても親近感が湧きます。

「自分の現状に満足せず、生涯を終える瞬間まで自身の生み出すコンテンツを追求し続けた」

これこそ葛飾北斎が「偉人」として名を残す事になった最大の理由なのではないでしょうか?

思うような記事が書けないと思うとき

ブログを書き続けていると、悩みは尽きません。

「もっと多くの人に読んでもらいたい」

「その為には、もっと良い記事を書かなくてはいけない」

そう思って毎日ブログを書き続けていますが、自分の思った通りの反応が出る記事なんてもの凄く少ないわけです。

色々な角度から記事を書いてみたり、試行錯誤の日々が続いています。

「いつになったら、自分の臨むアクセス数に届くのだろう」

そんな不安との戦いでもあります。

富嶽三十六景」で有名な葛飾北斎

この「富嶽三十六景」というシリーズが無ければ、葛飾北斎は今ほど有名になっていなかったでしょう。

この「富嶽三十六景」はコンテンツとして非常に優秀です。

富嶽」とは「富士山」のことであり、言うまでもなく日本で最も有名な山です。

誰しもが知る「富士山」を36の別なアングルから捉え続けるというコンテンツは、大衆にも分かりやすく、口コミが得られやすい優秀なコンテンツです。

まさにヒットの法則を多分に含んだ作品と言えるでしょう。

葛飾北斎がこの「富嶽三十六景」を世に生み出したのは、自身が70歳を超えてからです。

彼自身

「70歳以前に書いたものは、取るに足らないものだった」

と言っています。

ビッグヒットは一日にして生まれるものではありません。

コンテンツ創作に費やす弛まぬ努力と、それを追求し続ける情熱があってこその成功なんですね。

まとめ

いかがだったでしょうか?

「天才浮世絵師」と言われている葛飾北斎ですが、その成功は晩年の作品にありました。

「天才」とはひとつのものに情熱を手向け、それを常識を逸脱するほど追求することが出来る人のことを言うのではないでしょうか。

そんな思いを感じさせてくれた葛飾北斎

北斎美術館がオープンした暁には、是非足を運んでみたいと思います。